自然を愛する心が人と人を結びつける

鎌田 共感の輪といえば、金城さんと畠山さんは、今回の鼎談が初対面ですね。「SAVE the BLUE」を通じて、環境保全活動の最前線で活躍する二人が出会っていることは、「雪肌精」が化粧品ブランドの枠を越えた存在になりつつあることを示しています。

畠山 じつは牡蠣の養殖と沖縄は、切っても切れない縁があるんですよ。牡蠣の養殖技術を開発した宮城新昌(1884〜1967)は、沖縄の大宜味村出身なんです。農業移民した米国・シアトルで、牡蠣に出会うのですが、現地の牡蠣は、日本のに比べて身が小さい。そこで宮城新昌は、身が大きな日本の牡蠣をシアトルに持ち込むために、帰国。垂下式カキ養殖法という養殖技術を生み出すとともに、品種改良を繰り返して米国まで運搬しても死なない強い牡蠣の種をつくった。昭和40年代まで、宮城県の漁民にとって、牡蠣の種の輸出は外貨を稼ぐ貴重な手段だったんです。だから、石巻市と大宜味村には、宮城新昌の顕彰碑が立っているんですよ。

「海の種」の水槽を見学する3人。頻繁に立ち止まり、意見を交換

金城 そうなんですか。僕は、子どもの頃、大宜味村の海でよく釣りをしていました。いま沖縄水産高校の子どもたちが「沖縄オイスター」という合言葉のもと、牡蠣づくりにチャレンジしています。その試験研究の場として、「海の種」の施設を貸しているんですよ。それから、気仙沼にも思い入れがあるんです。僕の取り組みが映画「てぃだかんかん 海とサンゴと小さな奇跡」に取り上げられる前から、ずっと支援してくれている企業が気仙沼にあります。牡蠣を送っていただいたこともあるんですよ。

鎌田 もしかすると、金城さんと畠山さんは、運命の出会いを果たしたのかもしれませんね。挨拶を交わした瞬間から議論が止まりませんから。私は、合いの手を入れることもできない。

金城 僕は色々な方々と話してきたけど、自然を肌で感じられる人、自然を肌で感じられなくなっている人の違いは、すぐにわかります。畠山さんは、会った瞬間に自分と同じ人だとわかった。生き物の観察の仕方も、質問の内容も、ほとんどの人は人間目線が強いけど、畠山さんは生き物目線ですからね。

畠山 沖縄には何度も来ていますが、ここまでサンゴに向き合ったことはありませんでした。金城さんの話を聞いて、サンゴは奥が深いと思いました。柔らかいサンゴと硬いサンゴに、それぞれの役割があるとは知りませんでした。そして、サンゴは牡蠣と同じく潮間帯の生き物です。潮が満ちていると、水に浸かっていますが、潮が引くと、太陽に当たって鍛えられる。それが地球温暖化による海水温上昇でも白化しない「耐性サンゴ」を生んだ話は、目からうろこでしたよ。

「海の種」の水槽にいるウミガメ。沖縄の海の生態系が再現されているから、サンゴが育つ

金城 「耐性サンゴ」が生まれたのは、偶然です。子ども向けにサンゴの観察会を開いたとき、日差しが強いからサンゴを水槽の深いところに置いたところ、「見えない」と言われたんですよ。

確かに、産卵シーンを見せたいと思って水面近くに移したところ、一部のサンゴは白化したんですが、その脇の方から新しい枝が生えていたんです。このように白化に負けないサンゴを育てていたら、海水温が上昇しても白化しない「耐性サンゴ」が生まれ、「奇跡のサンゴ」として世界中のメディア、研究者から注目されました。

サンゴは、過保護では育たない。「雪肌精」の「SAVE the BLUE」で植えているのは、サンゴ礁の下地になるシコロサンゴが中心です。高水温に強くて、潮だまりでも生きるほど強い。シコロサンゴの白化は見たことがなく、とてもポテンシャルを感じています。