“美人の湯”のお客は個人客が主流に変化

下呂温泉は、岐阜県北部の飛騨地方にあり、有馬、草津と並んで日本の3名湯といわれる。泉質はアルカリ性単純温泉で、透明なお湯である。肌の角質やくすみを取る効果があるといわれ、肌をなめらかでスベスベにすることから、“美人の湯”という定評を得ている。

下呂温泉の宿泊客は、年間105万~110万人規模だが、その中身は様変わりである。以前は温泉といえば、団体旅行が圧倒的な定番だった。団体客は、大型バスで訪れて、夜は浴衣で宴会をやって、温泉につかって帰っていくというパターン。1980年代後半~1990年代前半のバブル期が団体旅行のピークだった。企業が儲かりすぎて、社員旅行などで節税を図ったという事情があった模様だ。

下呂温泉は3名湯の一つ。美人の湯として有名だ

しかし、いまはといえば団体客はほとんど“絶滅状態“であり、極端な少数派に変わっている。

代わりに圧倒的に多くなっているのが車で訪れる客、これがいまの主流で60%以上を占め、新定番になっている。それに加えて高山線(岐阜-富山)など鉄道を使って訪れる客が20%弱。車客、鉄道客とも個人客であるということに数えると、個人客がおよそ80%ということになる。

個人客が圧倒的な定番になり、団体客が少数派という状態--、これは下呂温泉もそうだが全国の温泉地に「コペルニクス的転回」に近い変化をもたらしている。

個人客のツールだが、移動は車、情報はスマホなどネットである。ホテル、旅館の選定・予約から近隣の観光コンテンツ、食べ歩きのお店などの情報まで、ほとんどすべてスマホに依存している。

さらに最近のトレンドでは、若い女性客たちが温泉の旅行客のメインになってきている。“美人の湯”は、その面では下呂温泉のキラー・コンテンツになっているのは間違いない。食べ歩きのお店なども重要なコンテンツになってきているのも若い女性客のトレンドを反映している。

インバウンドでも“美人の湯”をアピール

最近では、インバウンドの外人客も個人客として訪れることが増加している。インバウンド客も国内個人客とほぼ同様な旅行スタイルとなっている。つまり、スマホで情報を収集してレンタカーを使ったり、電車を乗り継いだりして移動している。インバウンドは、若い夫婦など、カップルが多いとみられている。

インバウンドは、宿泊客の約8.5%を占めている見込み。中国、韓国、台湾、香港など近隣客が多いが、近年ではマレーシア、タイ、シンガポールなど東南アジアからの客が増えている。

下呂温泉としては、泉質がよくて温泉につかるだけで自然な形で“スキンビューティ効果“があることを英語、中国語などのブログで宣伝に取り組んできた。インバウンド客の多くは、下呂温泉が泉質に恵まれ、“美人の湯”であることを知ったうえで選んで来ている。

ホテルのなかには客室専用の露天風呂に加え、岩盤浴やエステなどで“美人の湯”に特化しているケースもある。例えば、紗々羅というホテルなどは、岩盤浴で身体の芯からポカポカにして老廃物を排出し、ホテル内のサロンではアロマを使ってエステを楽しめることを売り物にしている。やはり、インバウンド客、それに国内の若い女性客がターゲットだ。女性客向けにお洒落な色とりどりの浴衣が用意され、SNSを意識したサービスが取り揃えられている。インバウンドなど若い女性客にはインスタ映えなどよい思い出づくりを提供する趣向となっている。

下呂温泉が取り組む「ザ・ナチュラルスキンビューティプロジェクト」は、アジア諸国からのインバウンドでは成功を収めている。下呂温泉は、次のターゲットとしてヨーロッパのインバウンドを増やしたい意向である。ヨーロッパにも“美人の湯”を発信するマーケティングに取り組むとしている。

データ活用の経営で押し寄せる危機に対応

おもてなしといっても、インバウンドを含む個人客と団体客では食事メニューから部屋の大きさまで根本的に異なってくる。団体客は、夜の宴会がメイン・スケジュールで近隣の観光コンテンツなどへの関心は薄かった。だが、いまの個人客は近隣の観光コンテンツ探しなどにも貪欲だ。観光地にとっては、団体客の行動パターンは一律で読みやすい。対照的に個人客の関心や行動はそれぞれであり多様で読みにくい。

下呂温泉観光協会は、そうした劇的な変化にまがりなりにも対応し、観光庁が規定する「日本版DMO」(観光地経営マーケティング組織)では先行事例とされている。

「2011年からきちんとデータを基にした観光マーケティングで手を打ってきた」

下呂温泉観光協会長の瀧康洋(水明館社長)は、そう語っている。

11年当時、瀧康洋は49歳であり、観光協会副会長にはなっていたが、周りはベテランのホテル、旅館の経営者ばかり。温泉地の経営は、ベテランの勘と経験が幅を効かせる世界だった。瀧康洋は、観光協会が会員であるホテル、旅館に宿泊するお客のデータを採らせていたことに着目した。チェックイン時に宿泊客に下呂温泉への交通手段などをヒヤリングさせていていた。瀧康洋は、「それなら経営にデータを活かしていこう」と会員に提案していた。

11年3月には東日本大震災が勃発したのだが、団体客が一斉に予約をキャンセルする事態に陥った。瀧康洋は、その時をこう振り返っている。

「大手の旅行代理店なども『何をいっているのか。お客は1~2年は戻らない』といった調子でけんもほろろだった。しかし、データを基に手を打てば活路が見つかる。データをみて団体客は早期には戻らないと判断した。中部、関西に向けてラジオを使いCMで個人客に呼びかけた。個人客は5月には戻ってきた。個人客は暖かい温泉につかりたかった」

12年の関越自動車道高速バス事故後には、長距離は運転手を二人にすることになり料金が高くなった。首都圏からの客足が大きく減退した。

白川郷を巡って下呂温泉に宿泊するいちばんの人気ルートは、運転手が二人となり高価格になった。その代替で下呂温泉・下呂温泉合掌村のコースに切り替える新企画をつくった。新企画は一人の運転手で対応できて料金を抑えられた。データに基づく経営判断だった。

顧客アンケートも実行した。アンケートには「下呂には食べ歩きできるお店がない」という不満が語られていた。スイーツのお店、飛騨地方のソウルフードといわれるケイ(鶏)ちゃん料理店などの配置に努力した。観光協会では毎月10日締め切りでデータを集めて分析して活用している。

萩原町の老舗酒造に年間6000人の観光客

個人客の増加は、下呂温泉が繁盛する与件を大きく変えた。下呂温泉は、近隣に個人客が回遊していく観光コンテンツが必要になったわけである。

下呂温泉の“美人の湯”だけではなく、下呂市全域に様々な個人客のニーズに応える観光コンテンツを配備しておかなければならない。当然ながら、下呂温泉のDMOはいまその方向に向けられている。

「平成の大合併」、04年に下呂町、萩原町、金山町、小坂町、馬瀬村の合併で下呂市となった。しかし、合併はしたものの下呂市の4町1村の関係は緊密とはいえず、むしろ疎遠だったのが実体だった。

例えば、隣の萩原町など江戸期は幕府の天領で飛騨街道の宿場町として繁栄していた歴史がある。「隣(下呂町)の助けは借りない」という矜持を持つ土地柄である。合併してもしっくりとはいかなかった。下呂温泉の周辺の観光コンテンツづくりは、このあたりから変えることでスタートしている。

萩原町の酒造。同町は、江戸期は幕府の天領で飛騨街道の宿場町として栄えた

萩原町観光協会の日下部讓会長(萩屋ケイちゃん社長)はこう語っている。

「萩原町は、以前は観光ということはまったく考えていなかった。しかし、下呂温泉には年間110万人のお客さんが来る。お客さんの旅行の形態が変わり、車で移動している。下呂温泉から萩原町までは車で10分、下呂から萩原町に足を伸ばして旧い宿場町のいまを楽しんでほしい。地元の老舗・天領酒造には酒蔵巡りで年間6000人の観光客が訪れている。萩原町には、女性客の好む和菓子などのスイーツ店、旧い旅館を改造したイタリアンレストランなどもある。経済効果があり観光客が来るのは良いことだと萩原町は少しずつ変わってきている」

昭和レトロ・金山町では「筋骨めぐり」コンテンツ

金山町では、町に張り巡らされた迷路のような路地裏通りをたどって歩く「筋骨めぐり」を楽しむことができる。

金山町も江戸期は人馬が行き交う飛騨街道の宿場町で栄えた歴史がある。昭和に入っては近隣のマンガン鉱山の鉱石集積地だったことなどから、「さながら上海のよう」という殷賑をきわめた町である。往時には、劇場、キャバレー、鰻などの高級飲食店、ビリヤード、スマートボール、パチンコなどネオンが燦めく遊興歓楽施設が立ち並んでいた。金山町の銀座通りにあった「金山劇場」は、人気歌手や当代一流の芸人が出演していた豪勢なものだったといわれている。

それらの“昭和モダンの町”が廃屋のように残っている。「筋骨めぐり」、町の路地裏を歩きながら人々のかつての生活の名残や陰影を眺めることができる。いまや昭和レトロのテーマパークのような町、これも立派な観光コンテンツといえる。「筋骨めぐり」は金山町観光協会のガイドさんが旅行客を案内し、羽振りのよい鉱山関係者などが行き交って繁栄していた頃の町の歴史や逸話を話してくれる。

金山町の「筋骨めぐり」。路地裏通りを歩き、昭和レトを楽しむ

金山町には、金山巨石群(岩屋岩陰遺跡跡巨石群)や笹洞蛍石鉱山閉山跡などの観光コンテンツがある。蛍石鉱山は閉山となって久しいが、鉱山跡地周辺にはいたるところに光を放つ蛍石の欠片が転がっている。

閉山した蛍石鉱山で、光を放つ蛍石の欠片を拾って帰る観光客も増えている

金山町観光協会の中島真一郎広報委員長は「石マニアのお客、年配の方が休みなどを利用して訪れるケースが多い。それからアクティブな若い女性客などが来ている。蛍石を拾いに来て、自由に持ち帰っている」と話している。

“美人の湯“・下呂温泉の変化への対応が地域にシナジー作用

下呂市として合併したとはいえ、下呂町、萩原町、金山町、小坂町、馬瀬村の4町1村は、お互いに「隣の助けは借りない」とそれぞれアウタルキー(自足経済)でやってきていた。「平成の大合併」で、全国に現れた新しい「市」では、いまでも合併しても融合はできていないケースが一般的だ。それは下呂市もまったく同じだった。

しかし、下呂温泉の「コペルニクス的転回」、すなわち個人客が大多数派になり団体客が少数派になるという変化が、4町1村をはじめて連携してシナジーを目指す関係に変えようとしている。下呂市の4町1村のシナジー作用は、下呂温泉にインバウンドを含む個人客が押し寄せるという与件変更がファクターになっている。

下呂温泉が、まがりなりにも「日本版DMO」で先行事例となっているのは、データに基づく観光マーケティングをひたすら追いかけてきたことによる。

下呂温泉観光協会長の瀧康洋は、「データによるマーケティングを最初に提案したのは、私たちの前の世代の実績のある経営者たちを説得するためだった。当時はデータを見せて、前の世代の経営者たちに納得してもらうしか方法がなかった」としている。

データ活用の観光マーケティング採用は、そうした“裏事情”もあったのだが、結果は先見の明となった。下呂温泉がデータを基に個人客に対応していくなかで、これも結果的にだが、下呂市の4町1村は初めてひとつの地域として融合する気配をみせている。

“美人の湯”・下呂温泉は、インバウンドを含む個人客の増加という激しい変化に何とかしたたかに対応していることだけは確かといえそうである。

ジャーナリスト・小倉正男(文中・敬称略)