カレンダーも残りあとわずか、今年も師走、何かと忙しい季節がきました。忙しい時に頭をよぎるのが「時短○○」。メークも例外ではなく、時短メークという言葉も定着し、一日のはじまり、1分でフルメークが完成したら・・・なんて考える人も多いのではないでしょうか。
ところで、この時短メーク、ポーラ文化研究所が所蔵する文献で振り返ると、大正から昭和へと時代が移り変わる頃に意識されはじめた様子がわかります。
大正12年(1923)に刊行された『婦人宝鑑』(大阪毎日新聞社)には、「最新化粧の仕方」として「新しく開け行く文化の時代に生活している婦人の化粧は、まず第一に最も手軽で最も短時間で、そして最もしっかりとできるお化粧の仕方を工夫することでなければなりません」とあります。さらに、それまで朝2時間かけていた化粧も手際が大切ということ、簡単に美しくなれる薄化粧法など、スキンケアからメークまでトータル7~8分で完成する化粧を指南しています。
当時、手早くできるベースメークとして、クリームを下地に粉白粉をはたく方法が広がり、今ではあたりまえの携帯できるリップスティック(当時は「棒紅」と呼ばれていました)は、大正7年(1918)に、国産品が発売されました。
また、簡単に肌の血色を良くし、表情を豊かにするものとして、頬紅も注目されるようになります。そして、なんといっても、欠かせない化粧道具として、外出先で手軽に化粧直しができるコンパクトが使われるようになったのも、このころのことでした。
こうした化粧法・化粧品が登場した背景のひとつに、女性の社会進出があります。明治時代の中ごろから電話交換手など、新しい職業につく女性が登場しはじめましたが、大正時代にはさらに女性の社会進出は進み、銀行や商店の事務員、百貨店店員、タイピストなど、さまざまな職業に就く女性が増え、「職業婦人」という言葉が使われるようになります。
職業婦人のメークは、人とコミュニケーションをとる上で、「化粧はマナー」ということを気づかせるものでした。マナーとしてのメークが重視されれば、いつでもどこでも身だしなみを心がけた美しい姿を保たなければと考えるもの。大正時代に職業婦人が増え、女性のライフスタイルが変化したことは、手軽に短時間でできる時短メークが意識される大きなきっかけとなったのではないでしょうか。(立川有理子・ポーラ文化研究所)
※クレジット記載のない図版は、すべてポーラ文化研究所提供
※ご紹介したポーラ文化研究所所蔵の化粧道具の一部は、ポーラ美術館にて2018年12月8日より開催「モダン美人誕生」(※美術館サイトhttp://www.polamuseum.or.jp/sp/jmb/)にてご覧いただけます。
株式会社ポーラ・オルビス ホールディングス ポーラ文化研究所 ポーラ文化研究所は、化粧を美しさの文化として捉え、学術的に探求することを目的として1976年に設立されました。以来、日本と西洋を中心に、古代から現代までの化粧文化に関わる資料の収集と調査研究を行い、ホームページや出版物、調査レポート、展覧会などのかたちで情報発信しています。 [ホームページ] |