2019年、令和と元号が改まりました。10月22日には国内外に即位を宣明する即位礼正殿の儀が皇居で行われ、テレビ中継をご覧になった方も多いのではないでしょうか。平安時代以降、皇室の儀式や行事などの正装として着用されてきた束帯(そくたい)や十二単(じゅうにひとえ)に身を包んで宮殿に皇族方が並ぶ姿は、まるで絵巻物の一場面のようです。
女性皇族や女官の髪型は「おすべらかし」(「おおすべらかし」とも)といい、儀式の際に結う正式な髪型です。十二単の長い歴史と比べると、おすべらかしが登場するのは比較的最近、江戸時代中ごろから宮中のよそおいに取り入れられたと考えられています。
平安時代、女性の髪型は長く伸ばした髪を背中にたらした、「垂髪(すいはつ)」が一般的なものでした。上流婦人は、自分の身丈よりもさらに長く髪を伸ばしており、藤原道長の栄華を中心に平安時代後期について書かれた歴史物語『大鏡』には、牛車に乗ってもなお毛先が建物の中の柱に引っかかってしまうほど髪が長い女御が登場します。
一方、庶民の髪は労働に支障のない、せいぜい腰くらいの長さで日々生活していました。しかし、頭を動かすたびに顔や肩にかかる、長い髪はうっとうしいもの。やがて髪を簡単に束ねるようになり、それは江戸時代に独特の造形美をもったいわゆる「日本髪」へと発展していくのですが、働く必要のなかった上流婦人たちの間では、長くのばしたままの垂髪が続きました。
先日の儀式で結われたおすべらかしをよく見てみると、垂髪と比べて、耳の上から大きく横に張り出した形をしています。これは江戸時代の中ごろ、遊里から流行がはじまった髪型のひとつ「灯籠鬢(とうろうびん)」を取り入れたものと言われています。
上流婦人の身の回りの世話をする侍女が持ち込んだ市井の流行が、やがて宮中の正装となっていったというのが有力な説で、ただし、宮中では髪を結い上げずに下ろしておく髪型が正式とされたため、横への髪の張り出しのみが採用されたのでしょう。日本のよそおいの流行は、おおよそ上流階級から庶民へと広がっていくことが常だったので、明治時代生まれの風俗史学者の江馬務は、民間の風俗が宮中の髪型に影響を及ぼしたということは、特殊なことであったと書いています。
さて、庶民の流行ヘアスタイル、灯籠鬢は髪を大きく横に張り出すために、鬢差(びんさし)とよばれる、クジラのひげなどを弓なりに曲げた棒状の器具を使います。一方、宮中のおすべらかしは、黒く染めてハート形の枠状に切った仙花紙などの厚紙に、整髪料として鬢付油(びんつけあぶら)をなじませた髪を貼り付けるようにして独特の板状の髪を形づくっていきます。
もともと日本髪を結う際には、用途に応じてさまざまな形の櫛を使い分けます。おすべらかしの結い上げにはへら付きの筋立てを用い、へらの部分で鬢を型紙に貼り付けるのです。そして額の上には丸髢(まるかもじ)をつけ、金属の釵子(さいし)という髪飾りを挿し、後に垂らした髪には長髢(ながかもじ)という付け毛を足し、紙製の元結や水引で束ねます。
結い上げには長い時間がかかるので、結う人にとっても、結ってもらう人にとっても大変な作業だたことでしょう。やがておすべらかしは江戸城大奥でも正装時の髪型として、婚礼などの儀式の際に結われるようになりました。
皇室のよそおいというと、一般のトレンドとは無縁のものと考えがちですが、ゆるやかに変化しながら現代に続いています。新しい時代を迎える節目となった今年、あらためて日本のよそおいの伝統に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
(富澤洋子・ポーラ文化研究所 研究員)
※図版はすべてポーラ文化研究所提供
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