特殊印刷は耳慣れない言葉だろうが、日常生活を支える重要な技術である。それを如実に示すのが、幅広い用途だろう。例えば、パッド印刷は、凹版を使用して版上のインキを弾力のあるシリコンパッドに一次転写し、被印刷物に二次転写を行う印刷手法。二次曲面や三次曲面だけでなく、凹凸部のある物体にも高クオリティ印刷できることから、化粧品や日用品はもちろんのこと、食品、IT製品、家電、自動車、スポーツ製品、雑貨、筆記具・文具製品、医薬・医療品など多様な分野で使用されている。
また、ホットスタンプ(箔押)は、加熱した凸版でプレスし、箔の素材を転写させる手法で、日用消費財に不可欠な技術だ。だから、特殊印刷の技術がなければ、日常生活は不便極まりない、と言って差し支えない。
特殊印刷機メーカーのリーディングカンパニー・ナビタスマシナリー社(https://navitas-mc.co.jp/)は、2021年12月31日にツジカワ社(https://www.tsujikawa.co.jp/)のグループ会社になった。1921年創業のツジカワ社は世界有数の彫刻技術を持つ金型メーカー。高品質の商品、サービスを提供し続け、世界中の企業から金型製造の依頼が舞い込む。創業以来、黒字を続ける技術立国日本らしい老舗優良企業である。この両社の統合が特殊印刷業界に一石を投じるのでは、と話題になっている。
というのは、ツジカワ社とナビタスマシナリー社は、特殊印刷のビジネスにおいて、切っても切れない関係である。パット印刷やホットスタンプの機械はナビタスマシナリー社が、印刷に必要な精緻な版はツジカワ社が製造しているからだ。
特に、特殊印刷機とホットスタンプの版の製造を一手に行える企業体は稀で、おそらく日本初のビジネスモデルである。両社とも特殊印刷業界では有名企業であるばかりか、技術の進化と継承を重きを置く経営哲学も共通している。だから、特殊印刷市場において、新しい高付加価値の商品&サービスを生むのではないか、と耳目が集まっているのだ。
創業100周年記念オブジェ ー 継承してきた技術の成果(photographer : Yoshiaki Takamine/MixJamDesign)
とはいえ、ナビタスマシナリー社の元親会社のシリウスビジョン社は、会社譲渡の理由として「特殊印刷機事業は市場が縮小する中で、競争が激化するという構造的な難題を抱えていた」と説明している。
ナビタスマシナリー社を引き継いだツジカワ社は、どのような成長戦略を描いているのだろうか。ツジカワ社の辻川豊社長は「伝統は革新の繰り返し」を経営の根幹に置くから、新たな一手を打つのは間違いない。今回の事業譲渡の狙いと今後の成長戦略について話を聞いた。
特殊印刷業界におけるワンストップサービスの価値
--ナビタスマシナリー社のグループ化は、大きな決断だったのではないでしょうか。
辻川 ナビタスマシナリー社の前身は、1966年創業の大平工業社。その立ち上げ時から、我々(ツジカワ社)はビジネスパートナーなんです。長い歴史がありますから、兄弟喧嘩のようなこともあったんですが(笑)。ただ、両社は、それぞれの事業領域においてトップランナーですから、常にリスペクトはありましたよね。ご多分に洩れず、特殊印刷業界の状況は厳しい。特に、我々のような金型メーカーは事業継承が喫緊の課題になっています。経営者の後継ぎ問題はもちろんのこと、高度な彫刻技術を受け継ぐ人材の確保や育成も急務。何か手を打たなければ、貴重な技術が失われてしまう。この強い危機感があり、先手を打つ気持ちでナビタスマシナリー社を受け継ぐことにしたんですよ。
--両社のシナジー効果は、どのような点で生まれる、と。
辻川 ナビタスマシナリー社の株式譲渡を受ける前、21年3月にシリウスビジョン社から中国の特殊印刷事業の移管を行いました。日本では特殊印刷機と金型の製造は別々の会社が行っていますが、中国のような新興国では一つの企業が担い、ワンストップサービスを提供しています。
メリットは、クライアント企業の要望にきめ細かく、スピーディに対応できることです。また、中国と日本の経営手法は異なり、マネジメントの現地化も必須。その点、我々の中国事業は黒字経営を続けており、このノウハウを転用すれば、中国の特殊印刷事業のサポートが可能だと判断し、移管を引き受けたんです。
つまり、日本でも今後、ワンストップサービスの重要性が高まりますから、それにいち早く対応しなければいけない。その時は、特殊印刷機と金型の製造を効率的にマネジメントする力も必要。このような狙いもあり、ツジカワ社の傘下にナビタスマシナリー社を入れることにしたんです。
--近い将来、必ず淘汰の波が押し寄せる。それを見越してM&Aに踏み切ったのですね。
辻川 事業環境が厳しくなり、既存事業に逆風が吹き始めてから動くのでは遅すぎる。ダーウィンの進化論ではありませんが、生き残ることができるのは変化できる者。変化できるのは、多様な価値観を持ち、進取の精神をもつ企業、組織、人材だけでしょう。
ツジカワ社は21年に創業100周年を迎えましたが、私はこの先もずっと、次の100年も生き続ける企業にしたい。だから、先手を打って、特殊印刷のワンストップサービスが提供できる企業グループになろう、と決意したのです。
高度な技術をベースに国内外で攻勢をかける
--ワンストップサービスは、どう確立しますか。
辻川 まずは「営業」「技術」「人材」「海外」をキーワードに、コラボレーションを始めます。例えば、営業で言うと、ナビタスマシナリー社はリーディングカンパニーですから、クライアントには多くの優良企業が名を連ねています。ただ、特殊印刷機の営業は頻繁に通うものではありません。一方、ツジカワ社も同じ企業と取引があります。金型の製造では頻繁な打ち合わせを重ねる必要があり、クライアントとの密着度が違います。ですから、クライアントの要望を正確かつ細かく把握し、ナビタスマシナリー社と連携すれば、よりクライアントの満足度を高めることができるのではないでしょうか。
また、我々はダイカットロールの製造も行っています。ダイカットロールとは、表面に刃を形成したロール状の金型で、材料を高速かつ連続で打ち抜く加工のやり方で、特殊印刷とは別の事業領域です。ダイカットロールのクライアントも、新規ビジネスを考える時にパッド印刷やホットスタンプの情報を欲するかもしれない。そのような情報を我々の営業がキャッチすれば、ナビタスマシナリー社と連携し、新しいソリューションを提案できるかもしれません。
我々が「信頼される技術、満足される品質」を経営の根幹においているのは、クライアントの商品、サービスを通じて、より良い社会、生活を生み出したいから。その積み重ねが、加飾の価値を世に広めていくことになるのです。ナビタスマシナリー社と連携することで、新しい社会貢献のあり方を模索することができると期待しています。
--そのために必要なのが、技術の融合と進化でしょうか。
辻川 おっしゃる通りで、キーワードに技術を上げているのは、そのためです。両社の社員がそれぞれの技術について理解する過程で、新しい発想が生まれ、新しい価値創造に結びつくはずです。技術交流をテーマにプロジェクトチームを立ち上げ、社員間の対話を促していこうと思っています。
昔の話すぎて、両社の社員は実感が湧かないでしょうが、もともとナビタスマシナリー社の前身・大平工業社の創業メンバーは「よくツジカワで飯を食わせてもらった」「風呂に入らせてももらった」と言っていたんですよ。
文字通り、両社は寝食を共にする仲で、それがビジネスに生きていた時代があったんです。営業面でも同じことですが、両社の人材が交流することは、本当に大事。それが人材をキーワードに上げている理由の一つです。
--いつの時代も人材育成は大きな課題ですが、特に両社の財産である技術の継承に危機感が強いのでは。
辻川 とりわけ、業績が厳しい時期が続いたナビタスマシナリー社は、人員構成が歪になっています。行動指針に「オンリーワン、ファーストワン、ナンバーワン」と掲げていますが、そのためには若い人材を採用し、挑戦を恐れない組織風土に切り替えていかなければいけません。ですから、人材採用改革の一環として、グループ採用を取り入れようと思っています。
幸いなことに、ツジカワ社は創業以来、赤字に転落したことがない。ツジカワグループとして採用活動を行えば、興味を持つ人は増え、コストも削減できる。来春の新卒採用はもちろん、中途採用でもグループ力を活用していこう、と思っています。
--四つめのキーワードに挙げたのは「海外」。ツジカワ社は中国、タイ、インドネシア、インド、ベトナムに現地法人があります。この海外ネットワークを使って、ナビタスマシナリー社を売り込むのでしょうか。
辻川 特殊印刷機の海外市場は競争が熾烈ですが、絶対に勝たなければいけません。これは成長のために避けては通れない道です。当然、勝ち目はあります。例えば、中国の場合、ナビタスマシナリー社のブランド力は高い。日本のリーディングカンパニーですから品質やサービスは信頼されており、ツジカワ社とのワンストップサービスでさらに攻勢をかけることができる。
先ほども申し上げましたが、新興国の現地企業には技術的なノウハウが少なく、高品質のワンストップサービスへのニーズは強い。つまり、タイ、インドネシア、インド、ベトナムでも、我々のビジネスモデルはアドバンテージがあると言うこと。コロナの沈静化を号砲に積極果敢に動きます。
--ツジカワ社の経営哲学は「伝統は革新の繰り返し」。新しい仲間であるナビタスマシナリー社とともに、新しい価値提案に挑むのですね。
辻川 私がグループ経営で目指すのは、省力化ではなく、スピードアップ。両社のクライアントに寄り添い、課題を解決する。クライアントの価値創出には、必ずツジカワグループの技術が存在していたい。このような貢献を積み重ねられる企業グループになれば、次の100年も社会に必要とされる存在であり続けることができると考えています。