日本の化粧品業界では、近年いわゆる「チャイナリスク」への懸念が高まっているという。化粧品業界に直接かかわる政策の不透明さ、当局による恣意的な法の運用、脆弱な知的財産権保護に起因する技術流出やブランドの侵害など不安視する点は多い。特に2021年に施行された法改正で、すべての原材料や成分の届け出が義務化されたことに伴い、特許やノウハウの流出、輸出入実務の複雑化や遅れなどへの懸念はますます高まっている。
近年、中国国内では中間層が急増し化粧品消費が著しく伸びた。このため、世界の化粧品企業にとっては、廉価な労働力による製造拠点としてだけでなく、中国市場そのものにも期待がもたれ、投資が拡大してきた。だが、コロナ禍勃発以降、中国では今もゼロコロナ政策によるロックダウンが繰り返され、チャイナリスクにはサプライチェーンとしての不安が加わっている。化粧品業界にとって重要度の高い中国の動きは、ブランドや企業全体の死活問題にもなりかねない。
6月、レブロンは米連邦破産裁判所へチャプター・イレブン(再建型の倒産手続き)適用を申請したが、同社は財政面で苦境にあったものの、直接の要因として、コロナ禍の中国における原材料サプライチェーンの機能不全やこれによる価格高騰をあげる分析が多い。
欧州の化粧品業界では、広い意味でのチャイナリスクをどうとらえているのだろう。6月半ばに開催された汎欧州の化粧品業界団体(Cosmetics Europe)の年次講演会における「新化粧品法――施行から一年を経て」と題するセッションは、この問いの一部に答えていた。
新法とは、20年6月に採択され、21年1月から施行されている中国化粧品監督管理条例(Cosmetic Supervision and Administration Regulation =CSAR、英語ではシーサーと発音する場合もある)だ。中国における近年の経済発展や生活様式の激変を背景に、30年来の旧法を刷新したもの。化粧品の分類が変更され、それに伴い各管轄当局が明確化され、完成品の全成分、原材料の登録や届出が必要となった一方、管理監視が強化され、違法行為に対する厳罰化も盛り込まれた。突然の大変革、手続きが複雑で不明瞭なために見通しが立たないなど戸惑いの声をあげる関係者は世界中に少なくないのではないだろうか。
このセッションの冒頭で、Cosmetics Europeで法規制・国際関係を担当するジェラルド・レナー氏はこの新法施行に歓迎の意を示した。「現実に即さなくなっていた中国の化粧品に関連する法制度を、抜本的に改革し、厳しくも産業全体に資する欧米水準の法制度に移行しようとしている」と評価しているからだ。
セッションの後、同氏に追加コメントを求めたところ、今回の法改正は「突然の予期せぬこと」ではなく、中国政府が10年頃から着々と準備を進めてきたものだという。世界的に高く評価されているEUの化粧品に関する法制度を参考にするというので、この間、Cosmetics Europeとしてもその過程を支援してきたのだと。つまり、中国の法改正が欧州化粧品産業にとってより望ましい方向に向くようロビイングしてきた結果であり、法改正の方向性や内容の一部はある程度窺い知れていたようだ。
外国の事業者の立場からすれば、新製品導入や輸入についての手続きが抜本的に簡素かつ透明で迅速になるとか、中国の国産品と輸入品が完全に公平に扱われるようになるなどと大きな期待があったのかもしれない。しかし同氏は、これまで長らく、あいまいな法規制で恣意的な運用が横行していたことに照らしてみれば、画期的な第一歩だという。さらに、CSARは「原則」を定めただけで、より詳しくはその施行規則やガイドラインで定められることになっており、まだ完成していない部分も少なくないのだと解説する。欧州の経験からいえば、実際、あらゆる関係者が問題なく運用できるようになるにはまだ何年も要するだろうし、コロナ禍による遅れも考慮せざるをえないだろう、と。
すべての原材料や成分の届け出が義務化されたとはいえ、「導入前登録よりも市場導入後の管理を重視するという原則なのであり、これによってメーカーや輸入元に責任を持って行動させるという改革が目指す方向性」は評価できるという。それに、中国側の管轄当局がより明確になり、新しい成分の認可が迅速になり、中国内外でのイノベーションを促すことになるのは疑う余地はないと、とてもポジティブだ。
一党支配の中国の政権が、今後も欧米と共調した経済産業政策を長く貫くかどうかは、プーチンのロシアの例を見ればなんともいえない。だが、レナー氏はこう語っている。「中国当局も、遅ればせながら、中国市場にさまざまな困難があることを認め、CSARの原則に沿った現実的な対策を講じようと柔軟になっている。中国は化粧品産業にとって、これからも長く期待のかかる重要な市場であるとの認識に揺るぎはない。多少時間がかかるかもしれないが、CSAR導入は成功し、世界の化粧品産業に大きな不安を抱かせることなく、世界水準の消費者保護にアップデートしていくことになるだろう」。★
■栗田路子
上智大学卒。米国およびベルギーにてMBA取得。EU(欧州連合)主要機関が集まるベルギー在住30年。欧州の政治・社会事情(環境、医療、教育、福祉など)を中心に発信。
月刊『国際商業』2022年10月号掲載
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