天安門事件(1989年)から早いもので30年もの月日が経ってしまった。日本の新聞は、6月4日前後、かなりの紙面を割いて振り返る報道をした。中国は天安門事件のデモ隊側の要求であった民主化に今も背を向けているというのが共通した主張だったように思う。実際の事情は複雑である。
事件の当事国である中国国内はいたって静かで、まったくといっていいほど報道されなかった。しかし忘れてしまったわけではない。政府がその報道と言及を必死に封じ込めたのは、気にかけていることの裏返しであり、中国の30歳代以下の若者たちには事件を知らないという「風化」が起きているものの、40歳代以上のほとんどの中国人、特に政府の中枢、オピニオンリーダーを構成する50歳代前後の中国人にとって忘れられるはずがない。戦後の日本人に精神構造の面で一大道しるべになったのが60年安保闘争だと思うのだが、中国人にとっては天安門事件が同様の重みをもつ存在だと言えるだろう。だからこそ30年前の事件について、中国人の多くは、単純にイエスかノーでは答えられない。
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