「マンダムの挑戦②」からの続き。https://wp.me/pacadT-2VM

ロングインタビュー「マンダム 西村健常務執行役員」

人生を振り返ると、失敗を恐れる性格だった

--マーケティングの課題として、デジタルとECへの対応があります。

西村健(以下、西村) もちろん、チャレンジすべき分野だと思いますが、新しい領域だからといってドラスティックに変えることは、長い歴史を持つマンダムのような組織には馴染まない。無理に進めると、別の会社になりかねないですからね。これまで築き上げてきたものを一つ一つ整理し、マンダムらしさを保ちながらフレキシブルに考え、動く。それが社員に求められることだと思います。

一方で、マンダムは社内完結型を好む傾向があります。これは一長一短で、変化の激しいデジタル分野には適さないのかもしれない。マンダムの理念を共有し、マンダム社員の働き方に共感し、一緒に動いてくれる人、組織だったら、積極的に連携し、ノウハウを学びながら、新し価値をつくっていく。女性用ブランドが強くなったのも、外部から経験者を招き、様々な学びを得たからです。デジタル、ECへの対応に磨きをかけるには、オープンイノベーションの発想が必要だと感じています。

マンダムの西村健常務執行役員

--マンダムの海外拠点は多い。日本で成功事例をつくる必要はないですね。

西村 特にECは、日本国内は動き始めたばかりで、海外の方がチャレンジしやすい。グループとして、どのようにノウハウを積んでいくかを考えているところです。ECやデジタルマーケティングなどの世界を見ると、日本は遅れてはいないですが、先頭を走っているわけでもない。欧米やアジアの若者の方がスマホを通じてデジタル技術を使いこなしていますからね。

そう考えると、デジタルマーケティングの成功事例は、すでに各国の拠点で生まれている可能性が高い。それが日本に伝わってこないのは、現地社員が自国では当たり前のことで、わざわざ報告する必要を感じていないのではないか。そこは、シナジーを生まなければいけないと思っています。

例えば、ビフェスタの公式Facebookの立ち上げは、シンガポールが先陣を切った。その波に日本を含む各国が乗っていったわけです。つまり、このスピード感が大事。柔軟な発想で、トライ&エラーを繰り返せるかどうか。ですから、私は、チャレンジしろ、失敗を恐れるな、といい続けているんです。ただ、失敗の仕方には良し悪しがあると思います。

ビフェスタは、日本を含む11の国・地域に展開

--どういうことですか。

西村 一般論ですが、いまの若い世代は、とてもスマートな思考を持っていますよね。相手の思考を考えて、肯定されやすい言葉や話題を選ぶ傾向が強いと感じています。仮に、それが会社の場合、個性的な提案が生まれ難くなる。しかも、相手を意識して考えたプランを実行して失敗しても、心のどこかで他人の責任にできるから、安心。つまり、意思決定を他人に委ねることで、保険をかけていることになる。

もちろん、責任は上司が引き受けるものですが、若い世代に徹底的に物事を考えさせることが必要です。その上で失敗すると、なんで失敗したのかという反省が生まれ、心の中に責任感が芽生えていくと思う。そうすれば、リベンジしたいと心が燃えるでしょう。

このようなチャレンジ・イノベーションを回し続けることが大切ではないか。特に、デジタルのような変化の激しい世界ではなおさらで、若い世代の突破力を上手に引き出していかないといけないと思います。

--良質の失敗をさせる。その考えは、どのように生まれたのですか。

西村 自分の人生を振り返ると、失敗を恐れる性格だった。何が何でも成功しなきゃいけない、と。普通は、失敗したくないから、チャレンジを控えますよね。でも、子どもの頃の私は、表に出さなかったけど、周囲の見る目から期待を感じていた。失敗を恐れる一方で、そのプレッシャーに負けたくない、打ち勝ちたい気持ちも内包していたんです。

とはいえ、小さいチャレンジは成功して当たり前。周囲を納得させることはできないとも考えた。だから、必然的に大きなチャレンジを続けるしかなかったんです。白鳥と同じで、水面では優雅に振舞っているけど、水中では一生懸命水を掻いている感じです。結果的に悔しい思いもたくさんしたけど、それがあるから成長できたと実感しています。だから、若い世代には、良質の失敗ができる環境を整えたいという思いが強いんでしょうね。

--マンダムに入ってからも、大きなチャレンジを続けた。

西村 もちろん、自分なりにチャレンジを続けてきたつもりです。マンダムで働くなら、先頭に立って活躍したいと思っていたから。シンガポール赴任を命じられたときも、極めて日本が好きで、英会話も苦手だったけど、断る選択肢はありませんでした。シンガポールでの生活も最初の3カ月は苦しかったけど、自分の中でブレない信念、目標を持つようにしているから乗り越えられたと思う。会社全体のこと、将来どうあるべきか、それぞれの立場で常に意識しながら働いてきたんです。

--その経験を伝えていく。

西村 失敗をしたくない一方で、チャレンジしなければいけない。この矛盾する気持ちを自分なりに満たすために、必死に毎日を生きてきたんです。たまたま僕は、多くの方々のサポートを受けて、ここまでやってこれたけど、いまの若い世代に僕と同じように結果のわからないチャレンジに挑むのは難しいと思う。だから、背中を押してあげるようにしています。

--例えば、どのような場面で背中を押すのでしょうか。

西村 とても細かい話ですが、例えば、新商品のデザインが出来上がると、担当者は生活者調査をもとにしたコンセプトを理路整然とプレゼンするわけです。でも、大事なのは、担当者の熱意。開発にとって商品は我が子のような存在でしょう。この衣装で、晴れ舞台である店頭に立たせることができるのかと尋ねると、言葉に詰まる社員もいる。かっこ悪いとかはセンスの問題で、いつでも磨いていけるけど、自分自身にやりきった感覚がなければ、失敗しても後悔しか残らない。そんな経験はさせたくないですね。昔のマンダムは真逆だったんですよ。

--どういうことですか。

西村 今と昔、どちらが優れているという話ではなく、右脳(直感的)と左脳(論理的)といったほうがわかりやすいでしょうか。昔のマンダムは突拍子もないアイデアを熱意を前面に出してプレゼンする社員が多かった。それだけではバランスに欠けるから、理論的な戦略構築も鍛えてきたわけです。直感と論理はどちらも重要ですから、今後もバランス良く両方のスキルを磨き、組織全体の力を高めることで、マンダムらしい最強のマーケッターが生まれてくると思う。これこそ、機械には代替できない、「人間系」企業の真骨頂ですよ。

とはいえ、いまは商品ラインアップが豊富で、目の前の仕事も増えています。日々のルーティンワークに追われ、創造性を育む時間、物事を深く考える時間をつくるのが難しいのは否めない。機械に任せられるものは任せて、創造性を育む時間を意識的に増やしていきたい。例えば、商品企画の10~20%は必ず遊びを入れることを意識して働くのもいい。

昔、多かったオフサイド気味のアイデアって、社内を元気にするんですよ。私の立場では売れないと困りますけど、ニュースになって話題が拡散する可能性もあるから、まあいいか、という気持ちも少なからずあります。生活者に「またマンダムが面白いことをやっているな」と思っていただけたら、マンダムらしいマーケティングができている証拠ですからね。

--現社長の次男。マンダムに入社すること自体、大きな挑戦だったのでは。

西村 これほど大きなチャレンジはありません。私は、子どもの頃から祖父や父の背中を見て育ちました。直接的には両親に、広い意味でいうと、マンダムに育ててもらったのですから、会社への愛着は人一倍強い。自分が成長していく過程で、例えば、海外に行ったとき、店頭に日本で売られているのと同じギャツビーの商品が並び、現地の生活者が手を伸ばす瞬間を見たときは、言葉にできない不思議な感覚が湧き上がってきた。その体験は、いまでも忘れられません。だから、マンダムが社会と生活者に対して、お役立ちができる会社として、ずっと生き続けることがベストだと思っています。

--憧れの経営者はいますか。

西村 すごい決断をする人だ、と思うことはありますが、特定の経営者はベンチマークしていません。昔から、自分は自分らしくいないといけない、と強く思ってきたからです。それは父である西村(元延)社長に対しても同じ。社内外の方々から昔の父に似ているといわれたら終わりなんです。父は父、僕は僕。これはとても大事なことで、僕という個で認識される人間にならないと意味がない。何十年後、マンダムの歴史を振り返ったとき、西村健というコンテンツが書ける存在にならないと、面白くないですよね。

--しかし、お父さんから受け継ぐべきものもあるのでは。

西村 強い信念、思い、考え方を持っていることは同じです。こんなこと父と話す機会は滅多にありませんが、社長としての父を見ていると、自らの意見は持っているのに、全社員の意見が出尽くすまで、全員の言葉を聞くまで、発言せずにじっと待ちます。社長の意見を表に出したら、それで決まり。議論が深まらないことを意識しているのだと思いますが、私は自分の意見を積極的に話すタイプですから、周囲の意見を引き出す父の姿から学ぶべき点は多いです。