ポーラ化成工業は、国立研究開発法人海洋研究開発機構(以下、JAMSTEC)海洋機能利用部門 生命理工学センターの出口茂センター長、京都大学大学院工学研究科の古賀毅教授と共同で、深海熱水噴出孔に着想を得たナノ乳化技術「MAGIQ(Monodisperse nanodroplet generation in quenched hydrothermal solution)」を用いて、化粧品素材の油剤を、直径50ナノメートル前後の超微細な油滴として水にナノ乳化することに成功した。「MAGIQ」技術の汎用性を飛躍的に拡大する成果であり、高機能なサステナブル化粧品の開発・製造などへの応用が期待される。

同研究の一部は、JST戦略的創造研究推進事業CREST「バロポリエステル:圧力による精密分解制御(課題番号:JPMJCR21L4)」の支援により実施された。同論文はElsevier が発行する学術誌「Journal of Colloid and Interface Science」に2025年9月23日付(現地時間)でオンライン掲載された。タイトルは「Deep-Sea-Inspired Bottom-Up Nanoemulsification of Alkyl Esters in Water (深海に着想を得たアルキルエステルのボトムアップナノ乳化)」。

深海の極限環境に学んだ新技術が、植物由来界面活性剤を生かしたナノ乳化という新たな選択肢を提示し、化粧品素材の製剤化に革新をもたらす。

化粧品は主に水性成分、油性成分、界面活性剤から構成されており、これらを均一に混ぜ合わせる乳化技術は、製品の品質や機能性を左右する重要な要素だ。従来の乳化技術は、大きな油滴を物理的に砕く「トップダウン方式」。これに対しJAMSTECの出口センター長らは、深海熱水噴出孔から着想を得て、油分子が自発的に集まってナノサイズの油滴を形成する「ボトムアップ方式」の乳化技術「MAGIQ」を開発した(図1)。

図1. トップダウン(上)とボトムアップ(下)の乳化プロセス

深海熱水噴出孔では、臨界点(臨界温度:374℃、臨界圧力:218気圧)を超える高温・高圧の水が噴き出しており、そのような極限環境では水の性質が大きく変化する。この性質を利用したのが MAGIQ だ。まず油と高温・高圧水を完全に混ぜた後、急冷しながら乳化剤を加えることで、油分子がナノサイズの液滴へと自己組織化する。

深海熱水噴出孔では、冷たい深海水に溶けていた分子が高温の熱水と接触し、瞬時に超臨界状態となった後、再び冷水にさらされるというダイナミックな温度変化が繰り返されている(図2)。MAGIQ では、この特異な環境を再現した流通型乳化装置(図3)を用い、油が高温に晒される時間を5秒以内に抑えることで、熱分解を防ぎつつナノ乳化を実現している。

図2.深海熱水噴出孔に特徴的な動的な高温環境

図3.株式会社AKICOと共同開発した流通型のMAGIQ乳化装置。高温高圧下で油と水を混合し、急冷することでナノ乳化を実現。深海熱水環境の温度変化を模倣した装置構成が特徴

これまでの研究で、耐熱性の比較的高い炭化水素は熱分解することなくナノ乳化できることが確認されていた。一方、化粧品や食品などで広く使われるエステル油は、高温・高圧水中での加水分解が懸念されており、MAGIQには適さないと考えられてきた。

そもそも熱に弱いエステル油と水の混合物が、高温・高圧下でどのように振る舞うのかは全く分かっていなかった。そこで研究チームは分子レベルのコンピュータシミュレーションを用い、エステル油が高温・高圧の水に分子溶解すること(図4)、さらには溶解挙動が油剤の化学構造に依存することを初めて明らかにした。

図4.高温・高圧下でエステル油が水に溶解するシミュレーション。圧力は250気圧

この知見をもとに、MAGIQを用いたエステル油のナノ乳化を試みたところ、シミュレーションで予測された油剤と水が混ざり合う温度以上で両者を混合したときに、油分子の自発的な自己組織化によって、油剤が直径50ナノメートル以下の超微細油滴として水に分散したナノエマルションを生成することに成功した(図5)。

図5.「MAGIQ」プロセスによるエステル油のナノ乳化。溶解温度(372℃)以上で水と油剤を混合した場合に、ボトムアップの油滴形成が起こり、透明度の高いナノエマルションが生成する

特筆すべきことに、得られたエマルション中に含まれる加水分解生成物を定量したところ、予想に反してエステル油がほとんど分解されていない(最大でも100ppm程度)ことが分かった(図6)。

図6.エステル油の加水分解による有機酸の生成。水とエステル油を435℃で混合した場合にのみ、100 ppm程度の有機酸が検出された

詳細な解析の結果、

・油が高温に晒される時間が10秒以下と極めて短い

・臨界点近傍の高温・高圧下での水物性が通常とは大きく異なる

以上の二つの要因により、エステル油の加水分解が高温条件下でも効果的に抑制されることが明らかになった。

化粧品業界では、植物由来の原料を活用した環境配慮型製品の需要が急速に高まっている。同研究により、MAGIQでナノ乳化できる油剤の種類が想定以上に多いことが確認された。これにより、植物由来の素材の機能性を損なうことなく生かせる、高付加価値かつ環境調和型の化粧品開発が可能になる。

MAGIQは、深海環境の極限的な物理条件に着想を得た「深海インスパイアード化学(DeepSea-Inspired Chemistry)」に基づくナノ乳化技術だ。地球表面の約70%を占める海洋、特に深海の利活用は、持続可能な社会の構築に向けた新たな科学技術のフロンティアとして注目されている。従来の深海研究は新種生物の発見や生態観察といった自然史的アプローチが中心だったが、「深海インスパイアード化学」は、深海に見られる物理化学現象や生物の適応戦略に学び、技術革新につながる知見の創出を目指す学際的な研究分野である。これは資源開発ではなく、「知識と技術の創出」を目的とした全く新しいアプローチだ。

「深海インスパイアード化学」に基づく技術は、すでに食品分野での事業化実績がある。高温・高圧連続生産プロセスを用いて製造された乳化多糖を含む飲料製品が国内市場で展開されており、この成果は第50回井上春成賞、および25年高分子学会三菱ケミカル賞の受賞にもつながった。こうした事例は、社会実装の成功例として高く評価されている。さらに「深海インスパイアード化学」は、プラスチック資源循環やバイオものづくりといった分野へも応用が進んでおり、持続可能な未来社会を支える次世代の基盤技術としての地位を確立しつつある。

ポーラ化成工業フロンティアリサーチセンターの岡村拓弥副主任研究員は以下のようにコメントを寄せた。

「ポーラ化成工業では、24年1月に竣工したテクニカルディベロップメントセンター(TDC)において、“異分野共創型ものづくり”の理念のもと、分野を超えた知見と技術を融合させることで、これまでにない革新的な化粧品技術の創出に挑戦しています。今回、『深海インスパイアード化学』を応用したナノ乳化技術『MAGIQ』を用いて、化粧品素材の油剤をナノ乳化する技術を開発し、その成果が国際論文として発表されるに至ったことは、TDC の取り組みが確かな技術基盤として結実しつつある証です。本成果を皮切りに、今後も TDCから世界初となる化粧品技術を次々と生み出し、化粧品の概念そのものを変革していくことを目指します。引き続きご期待ください」