在阪メーカーから脱皮したナプラ

19年7月の代理店会議で、ナプラの武田政憲社長は、会社の沿革に簡単に触れた。ナプラの前身である関西化研は、1959年の設立。今年で60周年を迎える。1989年に武田政憲社長が代表に就任。この当時の売り上げは13億8000万円ほど。プロフェッショナルのケア商品を広く扱う中堅メーカーだったが、90年代は、美容室のOEMを安く請け負うというイメージも強かった。こういう言葉があるのかわからないが、その特徴を一言で表すと、「安かろう、良かろう」ということになろうか。

関西化研にスタイリング剤OEMを発注していた人から、次のようなエピソードを聞いたことがある。

「ワックスのテスト品が上がってきて、『もう少し粘性を柔らかく』とリクエストすると、3日後に、粘性を下げたテストサンプルが、3品ほど出来上がってきて、びっくりした」

俗にワックスは「練りモノ」などといわれ、撹拌機の回転数が半回転違うだけで、粘性が大きく変わったりする。したがって、粘度の調整はかなり時間がかかり、一般的に数週間~数カ月はかかる。テスト品とはいえ、それが2~3日で用意できてしまうというのは、ナプラの開発力が高いことを示唆している。

こうした開発力を持ちながら、なかなか売り上げが上がらなかった、と武田社長は振り返る。関西化研の社名では、東京の美容室になかなか商品を置いてもらえなかったというのが、その理由だ。

そこで関西中心の活動から脱却するべく、2000年に東京で代理店会議を実施する。これが一つのきっかけとなって、02年に20億円の売り上げを達成した。さらに大きかったのが、06年に行ったCI変更で、社名を関西化研からナプラに変更。2年後の08年には50億を突破。この年、経営の神様・松下幸之助個人所有のビルを落札し、本社を移転した。それから後は、トントン拍子で、12年には売上100億を突破している。