東京・青山に「看板のない店」が現れた。5月20日にオープンした化粧品ブランド「イプサ」初の直営路面店「IPSA AOYAMA」がそれで、国道246号から路地に入った閑静な場所に佇む。外観に看板はなく、内観は左官が塗ったグレーの漆喰で統一。一見すると無味乾燥で、化粧品ブランドの面影はない。だが、その裏には、ブランドの想いがつまっている。小田淳イプサ社長は「原点からの旅立ちが始まる」と話し、次のように続けた。

「ブランドは、未来に向かって進化しないといけない。肌測定を通じて、お客様一人ひとりの個肌に向き合う『レシピの共創』というイプサのブランドコンセプトは変わらないが、これまでの肌に特化した分野から少し広げることはできないだろうか。それは一足飛びに実現できるものではなく、イプサだけで叶えられる夢でもない。『レシピの共創』と同じく、お客様と一緒に新しい価値をつくっていければいいんじゃないか。そのためには、ブランドの世界観を思う存分に表現し、お客様に体験していただける直営店というスタイルは、いまのイプサにすごくあっている。創業の地である青山に、素敵な場所が見つかったと思います」

イプサの直営店は、日本に5店、中国に10店あるが、すべてショッピングモール内にある。路面店タイプの直営店は、今回の「IPSA AOYAMA」が初の試みで、単なる情報発信の拠点ではなく、新しい価値を生むファクトリー(工場)機能を兼ね備えているのが特徴だ。

1階は物販が中心。壁面に埋め込まれたディスプレイの前に立つと、イプサならではのカウンセリングが受けられる。木目調のチェスト内に収められた肌測定器「イプサライザー」を使って、先天的肌質、後天的肌状態から17に分類される素肌の型、肌の透明感に影響を与える要素(角層透明度、メラニン〈量〉、メラニン〈分布均一度〉、血色鮮度、黄色化傾向などを解析。さらに「IPSA AOYAMA」オリジナルの測定・カウンセリングとして、体調のパワーレベルを測定する「インナーバランスケア測定」が体験できる。

まず人差し指にセンサーをはめて、波長が安定したら、測定開始。70秒間、言葉を発しないで、リラックスするだけで、いまの体調が10段階で表示される仕組みだ。弘永泰子マーケティング部長が「(この結果をもとに)今後は、食や生活習慣などを提案していきたい」と話すように、イプサは、肌領域から一歩も、二歩も飛び出そうとしている。

2階は、ワークショップのスペースである。中央には、印象的な一枚板テーブルが置かれている。木製椅子は、すべてデザインが微妙に異なる一品ものばかり。キッチンスペースも用意してあるため、さまざまなワークショップが開催できる。例えば、6月は「あなたの陰陽体質を知る。-豆花づくり(有料)」と「あなたの素肌型を知る。-ペア測定会(無料)」の二つ。7月までのワークショップは、5月20日11時に「IPSA AOYAMA」公式HPがオープンした途端に申し込みが殺到。特に測定会については1時間で満席になった。イプサの人気に陰りは見えない。

一方、「IPSA AOYAMA」は、空間演出にこだわる。ブランドコンセプトの一つである「美的生命力」の活性を促す有機的な空間で、1階中央には、生命循環の象徴である「アクアズーム」を配置。これは、水槽に魚を飼って眺める従来のアクアリウムとは異なる視点で、生命を育む空間を創り出すもの。まるで自然界のように植物や微生物が共存し、生命活動の循環を目の当たりにできる。

この「アクアズーム」以外の什器は、すべて移動可能。生命が有機的に循環・変化していくように、1階のインスタレーションは数週間に1回、少しずつ変化させられる。そして、3カ月ごとに「ガラッと変える」(弘永部長)というから、いつ「IPSA AOYAMA」に足を運んでも、鮮度の高い体験が楽しめる。もともとイプサは、四季の移り変わりを意識し、抽象的で感性を刺激するディスプレイを既存の直営店で展開しているが、直営路面店では、季節の変化と呼応する空間のインスタレーションを継続的に行うために専門チームを配置している。小田社長は次のように話す。

「『IPSA AOYAMA』は、社員へのインナーブランディングの要でもあります。きちんとブランドコンセプトを表現できる空間。『レシピの共創』という活動をストレートかつダイレクトに伝えられる環境が整いました。もはや『環境がないからブランドの表現ができない』という言い逃れはできない。本当に我々が目指すことをやる。この場所でお客様にブランドの本質に触れていただき、イプサのファンになっていただきたい。帰宅後にイプサのカウンセリングを受けたくなったらお近くの既存店にお立ち寄りいただける。凝った仕組みは不要で、自然と『IPSA AOYAMA』と既存店のシナジーが生まれると期待しています」

課題は集客と感じるかもしれない。青山の一等地とはいえ、路地裏の立地で、あえて看板も掲げていないからだ。だが、ここでもイプサの強みが活きている。百貨店カウンターの閑散時間帯を対象に予約をとったところ、わずか30分で389席が埋まった。イプサの業績は高まっているが、そのぶん、店頭が混雑するのは否めない。繁忙時間帯を避けられるのであれば、時間をかけて肌測定したいお客は多かったわけだ。有給をとって来店する女性も少なくなかったというから、ファンのブランド愛は、相変わらず強い。路面直営店の集客力は課題とはいえない。

じつは、イプサ社員が「レシピの共創」への愛着心が強いのも有名な話。つまり「IPSA AOYAMA」は、イプサを愛する人々が集う場ともいえる。当然、看板がない店だから、ふらっと立ち寄る人もいるはず。多様な価値観の交差は、新しい価値の源泉。「IPSA AOYAMA」は、イノベーションを育む場所である。