ユニ・チャームの創業者で、同社を世界的な日用品メーカーにまで育てた高原慶一朗(たかはら・けいいちろう)氏が10月3日、老衰のため逝去した。享年87。すでに近親者のみで密葬を行った。お別れの会は11月29日12時から13時、帝国ホテル東京・孔雀の間で執り行う。

お別れの会の日程

高原氏は1931年、愛媛県川之江市(現・四国中央市)で生まれ、53年に大阪市立大学商学部を卒業。製紙会社に就職、その後独立し、61年にユニ・チャームの前身である大成化工を設立して社長に就任。74年にユニ・チャームに社名を変更、2001年に同社会長となり、11年から取締役・ファウンダーとなった。

創業当時は建材の製造販売をしていたが、1962年の米国視察を機に、「女性が生活の中で感じる不安や不満を少しでも解消したい」という思いから生理用ナプキンの製造を始めた。その後に生理用品分野で培った不織布や吸収素材の加工・成形技術を生かしてベビー用紙おむつや介護用品、ペット用品などに事業を拡大。育児や介護、家事といった分野で生活者に寄り添い、生活の不満、不便を解消する企業としてユニ・チャームを成長させてきた。

80年以降はいち早く海外に目を向け、中国や東南アジアに進出。サウジアラビアなど日系企業がほとんど進出したことがない新興国にも積極的に展開。ユニ・チャームがグローバル企業になる礎を築いた。

また、衛生材料・衛生用品の製造・輸入販売業者で構成される日本衛生材料工業連合会会長として業界の育成にも努め、ニュービジネス協議会・全国ニュービジネス協議会連合会会長、日本青年社長会会長として産業全体の活性化にも取り組んだ。そのほかに内閣府総合規制改革会議委員や経済団体連合会評議会副議長など官民の公職を歴任し、日本の産業経済発展に尽くした。

87年に藍綬褒章、2002年に川之江市名誉市民、04年に旭日重光章、05年に大阪市立大学名誉博士号、同年愛媛県功労賞を受賞。

ユニ・チャームは生理用品など数多くの分野で業界シェアナンバーワンを維持している。故・高原氏の社会構造の変化をいち早く捉える意識は、現社長の高原豪久社長と、ユニ・チャーム全社員に受け継がれ成長の礎となっている。★