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キリンホールディングス(HD)は、ファンケル完全子会社化に向けた株式公開買い付け(TOB)を始める。キリンHDはヘルスサイエンス(健康関連)領域、食領域、医領域の三つを経営の柱に育てる長期経営構想を打ち出している。その一環として2019年にファンケル株式33%(議決権ベース)を取得するとともに資本業務提携を締結した。23年7月からTOBに関する検討を始め、24年2月21日にファンケルに正式に提案。同6月14日に実施を公表した。買付期間は6月17日から7月29日まで。価格は1株当たり2690円で、6月13日の終値から42.74%のプレミアムを乗せた。買付金額は約2200億円を見込んでいる。

キリンHDが6月14日に開いた記者会見で、吉村透留ヘルスサイエンス事業本部長は「ヘルスサイエンス事業をビール・飲料事業に匹敵する事業に成長させたい。今後10年間に売上収益5000億円を目指す」と意気込みを語った。同社はR&Dの強みを活用し、ブランドビジネス(BtoC事業)に機能性素材の開発・展開を加えて独自のビジネスモデルを構築する考え。売上収益5000億円が実現すれば、キリンHDはアジア・パシフィック最大級のヘルスサイエンス・カンパニーになる。

成長の要は健康食品である。23年にアジア・パシフィックで健康食品(ナチュラル・ヘルス)事業を展開するオーストラリア最大手企業ブラックモアズを買収。取得金額は1692億円の大型買収であった。同社は1970年代から東南アジア市場を開拓し、13年に中国に進出(現在は越境ECのみ)。近年はインド市場への投資を強化している。

アジア・パシフィック市場に広い販売網を持つ同社と連携することで、ファンケルのブランド、商品の海外展開を加速させるのが、キリンHDの狙い。「これまで33%の出資比率では、利益相反などの法的・財務的な制約があり、思い切った投資ができなかった」(吉村本部長)。TOBが成立し、ファンケルの上場廃止が決まれば、キリン、ブラックモアズ、ファンケルの三位一体で、国内、海外を攻める環境が整うというわけだ。

ところが今回のTOB公表は、思わぬ逆風が吹いた。キリンHDの記者会見は、健康食品への期待ばかりを話し、ファンケルの中核事業である化粧品への言及は「内外美容の提案はあり得る」「海外展開については可能性があれば探りたいが、TOBが成立してから進めていきたい」「すでに撤退しているが、以前、ブラックモアズはスキンケアを販売していたことがある」といった程度。これではキリンHDは化粧品事業に興味が薄いのではないか、と受け止められても仕方がない。

しかもファンケル子会社化の一報は、公式発表前日の深夜に日本中を駆け巡った。ファンケルの従業員数は896人(23年3月現在、契約社員・パート社員を除く)で、直営店は全国にある。上司や同僚に質問できる時間帯ではなく、不安な一夜を過ごした社員は少なくないはずだ。M&Aの成功要因は、統合する側が統合される側の社員の心をつかむことにあるから、今回のTOBに関する情報発信には検証の余地があるだろう。

というのも、これでは、キリンHDがファンケルの組織と人材を高く評価していることが伝わりにくいからだ。例えば、同社はファンケルが持つCRMを活用することで国内DtoC事業の強化を狙う。22年1月に稼働したファンケルの基幹システム「FIT3」は、複数の販売チャネルの購買情報、顧客の声、購買に至る行動情報を一元管理できる。改良前の基幹システム(FIT1、FIT2)に比べて、お客をより深く知り、今まで以上に最適な商品、サービスを提案できる。

具体的には、AIを使ってマーケティング・オートメーションを進めれば、定期購入に興味を持つお客に絞り込み、効率的にアプローチできる。「定期購入を止めようか」と考え始めたお客だけをピックアップし、コミュニケーションを図り、離脱を防ぐことも可能。店頭への送客を促し、ブランド体験をしてもらうことで、固定客化を図れるのも、ファンケルの強みになっている。

ファンケルは、外部依存を極力なくし、内製化で基幹システムを構築している。キリンHDの山﨑大護経営企画部主幹は「(独自性が強い)FIT3をグループ全体に水平展開することは難しいかもしれないが、顧客データを瞬時にECと店舗と共有し、活用する仕組みを考え、実際につくる思想に価値がある」と話す。

じつはブラックモアズの商品展開は、中国以外はオフラインのみで、EC強化は喫緊の課題。ファンケルが持つDXのノウハウは、キリンHD、ブラックモアズ双方にとって宝の山なのだ。ファンケルの生活者起点の思想は、社員が受け継いでいる。その点をキリンHDが記者会見で語っていれば、いらぬ不安を生むこともなく、グループシナジーの創出を明確に示すことができたのではないか。

キリンHDは11年にブラジル企業を約3000億円で買収したが、競争激化と経済情勢の悪化により、わずか6年で撤退。約770億円での売却を余儀なくされた。15年に約700億円で買収したミャンマー企業は、軍政への移行などもあり、22年6月に約220億円で譲渡している。キリンHDは海外事業強化に関する大型買収で成功体験が少ない。ファンケル、ブラックモアズとの三位一体のビジネスモデル構築では、人材と組織の一体感醸成を最優先に考えねば、再び悪夢を見ることになりかねない。

月刊『国際商業』2024年08月号掲載