創業家の出身で、資生堂中興の祖であり、企業によるメセナ活動の先駆者としても名を馳せた福原義春・資生堂名誉会長が8月30日、老衰のため死去した。92歳。再販制度廃止、バブル崩壊という激動の時代を社長(5期10年)、会長(2期4年)として陣頭指揮にあたった企業人としてだけでなく、日本化粧品工業会会頭、東京商工会議所副会頭と経済人としての活躍、さらに、企業による社会貢献と文化芸術活動を支援する「メセナ協議会」の設立などメセナ活動の普及、また資生堂をグローバルカンパニーへと押し上げた国際的な感覚と人脈を持ち、日仏、日伊経済交流機関の日本側議長、その他数多くの要職を務めるなど、文化人・国際人としても生涯を通じて多くの功績を遺した。

資生堂創業者、福原有信の孫として生まれた1931年は、制度品化粧品の基礎となった「資生堂チェインストア制度」施行10年目の年にあたる。慶應義塾幼稚舎、普通部と通い、戦争が激しくなると長野に疎開。そこで読書と音楽に没頭する日々を過ごす。速読家の才はこの時期に芽生えたのかもしれない。その後、慶應義塾高校、慶應義塾大学経済学部へと進むが、慶応義塾幼稚舎長の西洋史家・吉田小五郎の下での学びは、氏の価値観形成に大きな影響を与える。その核心となる二つの教え「物事はすべて原点に還れ」「真実は両側にある」は後に、氏が経済的価値だけでない「多元的価値」を尊重する基盤になった。氏がはっきりとした物言いをする人柄ではなかったのも多元的な視点を大事にしていたからであろうか。

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