リアルとデジタル双方でコミュニケーション力が向上

イプサはブランドビルディングに自信を深めているだろう。それを証明したのが、新型コロナ禍における顧客の支持だ。イプサは、百貨店を中心にレシピスト(美容部員)と顧客のコミュニーケーションから適切な商品、お手入れを提供する「レシピの共創」を大切にしている。この「リアルで顧客との絆を育む」ブランド戦略は、日本のみならず中華圏の生活者の心をつかみ、2010年代の成長は目を見張るものがあった。そこに新型コロナが直撃。インバウンド需要は消滅したものの、足元の日本の生活者に限ればほぼ横ばいで、市場回復が著しい中国では10%を優に超える二桁増収を続けている。21年2月9日に資生堂が開いた20年12月期決算発表会において、魚谷雅彦社長が「イプサには強い可能性を感じています。日本と中国をメインにやっていますが、将来的にはアジアでのさらなる拡大、そして欧米市場にもぜひ投入していきたい」と語ったのは、イプサが磨いてきた競争力が本物であることを示している。

美的生命力(Vital force)を引き出す「ME(化粧液)」

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「正直に言えば、店頭でなければイプサの体験価値を伝えることはできないと思い込んでいた」と小田淳イプサ社長が振り返るように、新型コロナはリアル重視のイプサに強い逆風になった。例えば、イプサはプレステージブランドらしく全国の好立地に拠点を置いている。外出自粛、在宅勤務の増加は、自宅でのスキンケア時間が増えたとはいえ、働き盛りの20〜30代の女性からの支持が厚いイプサには痛手だ。この苦境から瞬く間に脱したのは、イプサが積み上げてきた人材力、組織力の賜物である。

まず、デジタルへの対応力だ。もともとイプサは自社ECに取り組んでいたが、店頭の補完機能という位置付けだった。新型コロナを機に、ブランドの情報発信の回数を一気に増やし、イプサが「心友」と呼ぶ愛用者にブランドが寄り添っていることを感じさせた。さらにオンラインで行った美容家やインフルエンサーへの製品訴求でワントゥワンにこだわったのも「レシピの共創」というブランド哲学を生かしたもの。これによりSNS上で口コミ等の情報が拡散し、化粧水「ザ・タイムR アクア」を購入する新客が増加した。

独自の保湿成分「アクアプレゼンターIII」を配合した薬用化粧水「ザ・タイムR アクア」

独自の保湿成分「アクアプレゼンターIII」を配合した薬用化粧水「ザ・タイムR アクア」

レシピストの活躍も見逃せない点だ。緊急事態宣言による百貨店の休業が終わると、イプサの心友は「レシピストと話したい」と店頭に足を運んだ。もちろん、イプサ、顧客ともにコロナの感染を防ぐために、短時間のコミュニケーションになる。それでも、顧客が店頭への意識を持ち続けるのは、これまでレシピストが地道に積み上げてきた信頼関係があるからだ。もちろん、短時間の応対で、ライフスタイルが変わった顧客の肌悩みにすべて応えることは難しい。そこでイプサ公式サイトへのID登録を促し、店頭で伝えられなかった情報を顧客のマイページを通じて発信。さらに百貨店ECなどでも購入できること、デジタルでの情報発信が充実していることを伝えることで、レシピストは、ブランドと顧客の距離を近づけていった。イプサが21年からオンラインカウンセリングに力を入れたのは、タッチアップや肌測定ができなくても、レシピストとの会話に満足する顧客が多いことが明らかになったから。小田社長は次のように説明する。

「新型コロナ禍は、イプサ全体のコミュニケーション力を磨くきっかけになったと思います。もちろん、当初は市場環境が悪化し、危機感はありました。ただ、それを救ってくれたのは、社員なんです。イプサは自発的に考え、動く集団なので、みんなが今できることを考え、実行してくれる。しかも、心友と触れ合っているレシピストの声を生かすと、成功確率が上がるんです。上手くいくこと、いかないことはありましたが、いわゆるPDCAを回してくれるから、社長が一人で考え込まなくていい。この人材力、組織力はイプサの財産だと思います」

中国市場での躍進も、組織の一体感が支えている。中国市場での展開を始めて15年ほど経過するが、市場性の違い、コミュニケーション力の課題により、日中のイプサチームは一枚岩の関係がつくりにくかった。今後の成長を見据えると、日本、中国はもちろん、アジアに打って出ることは不可欠で、小田社長は19年からイプサチームの強固な連携づくりに着手。ブランド哲学を重視し、ブレない経営を続けている日本のノウハウを中国にも伝えることで、過剰な価格訴求が横行する中国本土市場において、イプサはプレステージブランドにふさわしい顧客づくりを進めている。国・地域の枠を越え、心友が増えているということだ。

「マーケティング部門が中心となり、日中それぞれの社員が胸襟を開いた議論を交わせるようになっています。中国市場のスピード感は日本よりも数段速いですが、そこに対応できるようになってきているのは日本チームにも好影響を与えると思います。また、デジタル活用で先行している中国の事例をリアルタイムで共有できるのも、日本チームの武器になる。そして短期視点ではなく、中長期でブランド戦略を議論する機会が増えており、これもイプサにとって大きな力になると思います」(小田社長)

日中とアジア、その先にあるのは、魚谷社長が触れた新たな市場への展開だろう。小田社長は、「世界中にイプサを使ってくれる人がいたら、これほどうれしいことはない」とその意欲は隠さない。イプサの原点であるカウンタービジネスは大事にしつつ、そこにオンラインを組み合わせる。「イプサらしいビジネスモデルをつくれば成功確率は上がる」(小田社長)というから、中長期な視座に立っているとはいえ、現状のイプサの競争力に自信を深めているのだろう。日中でブランド認知度が高まっているイプサは、次のステージを見据え、動き始めているに違いない。

月刊『国際商業』2021年06月号掲載