英国では、ECビューティービジネスが実店舗展開を積極的に推し進める動きが目立つ。昨年秋には、大手のルックファンタスティック(Lookfantastic)が、マンチェスターの大型ショッピングセンター近くに500平方メートル強の広さを持つ路面店をオープンした。同社は1996年に、英国初のECのみのショップとしてスタートし、今では90ものブランドを扱っている。オンラインだけでもここまで大きく発展できるという可能性を示すロールモデルのような存在だっただけに、オフラインへの展開を決めたことが注目された。
ECで扱っている主力商品がずらっと並ぶ店内では、スキンケアから香水まで、商品カテゴリごとに鮮やかに色分けされたゾーニングシステムによって、圧倒的な数の品の中から欲しいものが探しやすいように注意深くレイアウトされている。ブランドから派遣され特定の商品を勧めるアドバイザーは不在だ。スキンケア資格を持つ専門家も含めた「マルチブランドアドバイザー」と呼ばれるエキスパートが店内のあちこちに立っていて、顧客との会話を通してさまざまなブランドの中から一人一人のニーズに適した製品を勧めてくれる。
また、プロフェッショナルからも高い評価を得ているヘアケアブランドWOWが初プロデュースするヘアサロンや、ダーマロジカによるスキンケア施術室もある。そして、スポットライトステージと呼ばれる店頭のショーウィンドウや、店内のポップアップスペースでは、注目のブランド商品についてより深く知ってもらえる参加型イベントが週単位で行われている。
人気サブスク制サービス「ビューティーボックス」のリアル店舗版も行われている。ビューティーボックスは、市販サイズの商品とサンプルが福袋のように詰め合わされ毎月郵便で届けられる仕組みだが、店頭では自分で商品を見て選ぶことができるのが魅力だ。ほかにもインタラクティブな仕掛けが施された鏡を使ってフルメークアップのシミュレーションができるビューティーバーもある。
テクノロジーを活用した店舗体験に加え、サステナビリティやインクルーシブな取り組み姿勢のアピールも忘れていない。店頭には商品容器のリサイクルポイントがあり、静かな環境で買い物したい人のために毎週2回、音楽をかけず入店人数も制限する「クワイエットタイム」を実施している。リテール店舗としては英国でも珍しくペット連れ(犬のみ)でも入店できるなど、オンラインでは再現できない仕掛けがこれでもかというほど盛りだくさんだ。
実店舗やリアルイベントでの購入経験を、英語圏のマーケティング用語でIRL(In real lifeの略)と称するが、ルックファンタスティックはこの店舗を「IRLコンセプトストア」と呼ぶ。ここでしかできない経験を求めて訪れる「娯楽としてのビューティー施設」の実現を目指している。
小売りばかりでなくブランド単独での出店も見られる。例えばオーストラリアのスキンケアブランド「グロウンアルケミスト(Grown Alchemist)」は、本国ではECと路面店、海外ではECオンリーでいくというこれまでの方針を変更し、昨年秋にロンドン、香港、ニューヨークに実店舗を開いた。ロンドン店では専任アドバイザーによる肌や髪質の診断サービスに加え、男女向けのビューティー施術や点滴セラピーなど「ブランドの世界にリアルで浸るイマーシブ空間」を提供している。また、業界誌によると昨年にルックファンタスティックが属するTHGグループの傘下に入ったカルトビューティー(Cult Beauty)も路面店開設の企画を進めている。
英国では老舗デパートのハロッズやアパレルブランドであるネクストなどが類似したコンセプトの体験型ビューティーホールを首都圏および地方都市で展開しているが、ECオンリーからのIRL進出というのは新しい傾向だ。とはいえ、業界アナリストのリテール・エコノミクス社によると、これはECから実店舗への移行を意味するものではない。あくまでも収益拡大を目指すオムニチャネル戦略の一環であると同時に、英国でECが抱える問題への対応策でもあると分析している。
この国のECリテール市場自体は、コロナ禍の2020年に前年比40%近い爆発的な成長を遂げ、生活必需品から嗜好品までオンラインでの買い物習慣はすっかり定着した。しかし個人宅への配達キャパシティの方はいまだに追いついていない。遅配や誤配が多発したせいで、パンデミック収束後のオンライン購入への信頼度は低下しつつある。加えてミニマムオーダー制限や燃料高騰による送料の値上がりも、EC利用のメリットに水を差している。購入はオンラインで行い、受け取りは購入者が実店舗に出向く「クリック&コレクト」サービスがあっという間に全国的な普及を遂げたのにはこのような背景がある。ただしそれにはまず実店舗が必要なことは言うまでもない。
いろいろな要素を合わせた結果が、オンラインとIRL両方を効果的に組み合わせるオムニチャネル展開のトレンドになっている。これからもオンラインとオフラインのシームレスな連携による顧客との接点の多様化、顧客行動データの統合とそのデータを活用したハイパーパーソナライゼーションが進むことは確実であり、ビューティー業界全体のビジネスモデルの変革スピードはさらに速まっていくだろう。★
▪冨久岡ナヲ
ロンドン在住ジャーナリスト。英国の動向を伝える記事を各種メディアに執筆中。今までに300名を超える企業エグゼクティブ、起業家、政治家、科学者などへの英語/日本語インタビューを行ってきた。英国企業や政府諸庁の日本語媒体制作、日本企業向けに広報素材の英語ローカライゼーション支援も手がける。
月刊『国際商業』2025年03月号掲載

























