「それ、蜘蛛に見えないじゃない」。2018年10月25日、突如、この世を去った資生堂美容技術専門学校(資生堂学園)の西島悦副校長の指導は厳しかった。同校は毎年、卒業を控えた2年生が身につけた知識と技術を披露する「技術発表会」を行うが、学生の作品とはいえ、クオリティの高さに定評がある。それは現役のヘアメーキャップアーティストである大竹政義校長と西島さんが作品づくりの進捗を必ず確認し、アドバイスを与えるからだ。冒頭の言葉はその一コマで、西島さんが蜘蛛を題材に選んだ学生に投げかけたもの。彼女は作品に情熱を注ぐ大切さを示し続けた。
美容技術の素人で、学生指導の経験もない筆者は、その場から学生が逃げ出すのではないかと心配したが、杞憂に終わった。学生は目の色を変え、作品づくりへのアドバイスを求め始めた。一週間後の本番では、蜘蛛をモチーフにした美しく、スタイリッシュな作品を披露。ここまで変わるのか、と我が目を疑ったことを覚えている。
西島さんの厳しい姿勢は相手への期待の裏返しである。一人一人の性格と伸び代を把握し、巧みに言葉を選んでいた。そして指導を終えると、柔和な笑顔で話しかけ、笑い合い、心をつかむ。西島さんは、学生だけでなく、国内外の資生堂ビューティーコンサルタント(BC)、専門店スタッフなどへの教育にも精力的に取り組んだが、不思議なことに指導を受けた人たちは、みんな西島さんに胸襟を開いた。それは彼女のメーキャップへの真摯な姿勢、そこから生まれる厳しさと優しさに皆が憧れたからだろう。しかし、後進の育成は道半ばである。
西島さんは長崎県で生まれた。資生堂のBCとして店頭活動に従事。メーキャップを極めるために退職し、資生堂学園の門を叩いた。母親と同じく美容師免許を取得。卒業後はヘアサロンに勤務したものの、1985年に資生堂に再入社。そして才能が一気に開花していく。功績は枚挙にいとまがない。一例を挙げると、95年に新設されたビューティークリエーション研究所は、トレンドを捉えたメーキャップを誰でも簡単に習得できる理論の構築に真っ先に取り組んだが、店頭活動の経験がある西島さんは、プロジェクトリーダーとして活躍。そのときに確立したスペースバランシング理論などは、現在の資生堂メーキャップの基本理論になっている。
16年、還暦を迎えた西島さんは、資生堂を定年退職。資生堂学園の副校長に就いた。だが、18年5月に病魔が襲う。膀胱癌だった。西島さんは入院治療を強いられたが、必ず職場に復帰すると、持ち前の前向きな姿勢を失わず、授業の内容へのアドバイスを欠かさなかった。
また近年は、メーキャップの検定とセミナーを提供するジャパン・ビューティーメソッド協会の立ち上げにも尽力。理事長は大竹さんで、18年春の発足にこぎつけた。西島さんは10月13日に行われた協会認定講師の最初の打ち合わせ会に参加することを目標に闘病に励んだが、残念ながら実現しなかった。30年以上、一緒に仕事をしてきた大竹さんが病室を訪れたのは10月22日。いつも通り明るく、元気だったというが、23日に容体が急変。そのまま帰らぬ人になった。
10月30日に通夜、翌31日に告別式が執り行われた。弔辞を述べたのは大竹さんで、「ご主人、ご家族はもちろんのこと、仕事を愛し、資生堂を愛してやまなかった西島さんです。残された我々は、西島さんが描いていた想いを実現できるように努めてまいります」と述べた。本来、大竹さんからバトンを受け取るのは西島さんの役目だった。早過ぎる旅立ちは残念だが、後ろを向くことは西島さんが許すまい。彼女の思いは、世界中の美容技術者が受け継いでいる。★(長谷川隆)